最近、テレビ出演も増えたお笑いトリオ「ぱーてぃーちゃん」の信子さんですが、2025年3月にめでたく大分市魅力発信アンバサダーになられました!
生まれた当時は大阪に住まわれていましたが、3歳頃に母方の実家がある大分県へ引っ越され大分県人になったようですね。
信子さんの大阪の家も大分の家もとんでもなく大きく大きかったようで、料理人が自宅で料理をするなど富豪エピソードがテレビで語られています!
そこで今回は、
ぱーてぃーちゃん信子の家系図に徳川家が?
料理人がいた実家は超裕福だった!
この2つに迫っていきたいと思います!
それでは、早速本題に入っていきましょう!
ぱーてぃーちゃん信子の家系図に徳川家が?

最初の「徳川家の末裔」発言は、2022年のYouTube動画で「ぱーてぃーちゃん」のWikipedia更新をしてほしいと言うテーマで、メンバーらを掘り下げたトークが初めての蔵出し情報でした。
お父さんの祖母、つまり信子さんの曾祖母が徳川家の末裔ということで、実際お父さんも周囲に自慢話をしていたようです。
その後、日本テレビ「小学5年生より賢いの!?」やフジテレビ「さんまのお笑い向上委員会」などでも、信子さんの名前まで載っている(トーナメント表と呼ぶ)家系図を幼少期に見ていたと言われています。
「優勝者のところに徳川家康がいた」
出典:日刊スポーツ
ただ、この家系図は公開されておらず、信子さんの実家でしか見られないものなので、本物という確証はありません。
それでも、子供時代の信子さんは家にあった徳川家の家紋(三つ葉葵紋)入り甲冑など見ていたそうです。
学校で「(三つ葉葵紋を指し)うちにもこの家紋がある」と言ったところ、「嘘つくなよ」と言われ、その後は話題にしなくなり口にする機会も減ったといいます。
YouTubeでは、世が世ならお姫様!とはしゃぐカワイイ信子さんでした!
料理人がいた実家は超裕福だった!

実は、お父さんが若い頃に実家の事業を継ぐことを拒否した時に、徳川家の末裔である実家から勘当されてしまいます。
幼少期の信子さんが過ごした大阪時代の実家は、信子さんのお父さんが勘当された後に事業を起こされて、一代で財を成しえ33億円かけて作られた豪邸だったといいます!
そのお父さんは厳しく、料理人が配膳する時のテーブルマナーはもちろん、落としたものは自分で拾わないでお手伝いさんが拾う、ソファーではあぐらをかかない、と所作も含め躾けられたそうです。
また、実家の庭で迷子になり、専属の庭師に母屋まで送ってもらうなど、敷地の広さも尋常じゃない様子でした。
「お手伝いさん」や「料理人」、「庭師」が家にいたことから、相当なお嬢様だったと言えますね。
また、子育ての助っ人を頼めるということで、お母さんの実家のある大分県に引っ越し、両親で事業を広げられていました。
その大分の家もかなり広かったようで、小学生にしてお年玉の総額が50万円だったことと、信子さんが「ピアノをやりたい」と言うと翌日にはグランドピアノが届くという、変わらず裕福な生活をしていたようです。
「33億円で建てたお家に住んでた」「お年玉は50万円」
出典:テレ朝POST
しかし、バブルが崩壊するとともにお父さんの事業が借金を抱え、倒産。
大阪にあった実家は競売にかけられて、現在はお寺になっているようです。
その後、信子さんが15歳の時にお父さんは他界され、お母さんとお婆ちゃんの二人がマンション経営で事業を始められます。
信子さんは中学卒業すると、高校進学せずにバーとレストラン掛け持ちで働き、お小遣いは一切もらわない生活をされました。
ある意味、小学生で何かを達観されたようで、躾けられた素養で中卒でも3つ星レストランで働くという、品位の良さも伺えるエピソードではないでしょうか。
とはいえ、中学生の頃から髪を明るくし、徐々にギャルメイクになっていたのは、ソフトギャルだったお母さんの影響もあったようです。
「小5・6でお母さんの白髪染めを見てやってみたいって、頭皮に影響がない程度でって1回やった」
信子さんは、学生時代から裏表なく明るい性格はそのままギャルだったけど、名家で育った品位は本物なんだと思えました。
まとめ
今回は、ぱーてぃーちゃん信子さんの家系図に徳川家の名があることと、料理人がいた実家は超裕福だったことについてご紹介しました!
信子さんの家系図に徳川家の名があったのを、子供時代に見たと信子さんが記憶していました。
料理人がいた実家は超裕福というのは、「お手伝いさん」や「料理人」、「庭師」が家にいたことから明らかでした。
信子さんが大分市魅力発信アンバサダーになられたことで、ますますご活躍が期待されますね!
それでは、今回もありがとうございました!
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