お笑いコンビEXITでご活躍中の兼近大樹さんですが、一時期(2023年)は犯罪組織の関係者として報道され、芸能活動も危ぶまれるほどでした。
ご自身でしっかりとインタビューに答え、きっぱり無関係と弁明できたことが評価され徐々に緩和されたのだと思いますが、この苦境を乗り越えられたのはお母さんの存在が大きかったことが分かってきました。
兼近大樹さんがお母さんと力を合わせて極貧生活を乗り越えてこられたとに秘密があるのでしょうか?
そこで今回は、
兼近大樹の母がすごい!
一家で極貧生活を乗り越えた過去
主にこの2つに迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう!
兼近大樹の母がすごい!
北海道で生まれ育った兼近大樹さんは、中学一年生の頃にお父さんが経営する会社が倒産するのをきっかけにご両親が別居、2年後には正式に離婚しました。
兄はお父さんと一緒に住み、姉と兼近大樹さんと妹の三人がお母さんに引き取られます。
このお母さんの、生活保護を受けずダブルワークで働く中に、家族が笑顔を絶やさない生活ぶりがすごかったのです!
お母さんは名前を照美さんといい、離婚後はシングルマザーとして三人の、しかも育ち盛りの子を食べさせていくため、日中は工場で働き、夜はスナックで働くというダブルワークの生活をされていました。
ただ、それでも経済的に苦しい状態だったので、当時中学生の兼近さんは照美さんに「生活保護を受けないと生活できないんだから受けて!」と言って大喧嘩になったそうです。
兼近さんは、保護を受けるために車なんか捨てちゃえ!とまで言ったそうです。
が、照美さんは「じゃあ、子ども達を送る時どうする?おばあちゃんの送り迎えはどうする?車は手放せないから絶対に生活保護は受けない」
生活保護を受けるために子供やおばあちゃんの送迎に使う車を手放すことになるなら、働いてなんとかすると照美さんは譲りませんでした。
お母さんのすごい覚悟を感じて、兼近さんも「わかった」と言って新聞配達を始めることになります。
兼近さんが働くことでも生活保護は受けられないそうで、とにかく働いてなんとかお金を工面していました。
中学時代、生活保護受給巡り母と口論
出典:スポニチ・アネックス
ただ、苦しい生活の中でも、照美さんのいつも明るく幸せに振る舞う姿に影響されたと言います。
食事に大量のもやしを茹でたものだけの「もやしフェスティバル」には、様々な調味料で味付けし楽しく食べていたということが語られていました。
「もやしフェスティバル」
出典:日テレTOPICS
家族の中では、照美さんがムードメーカーになり明るく笑い声の絶えない雰囲気を作っていたようですね。
お母さんとして、家族を支える愛情と底力のすごさに感服です!
一家で極貧生活を乗り越えた過去

家族を養うため働き手に回る決意をされたことが日本テレビの「人生が変わる1分間の深イイ話」で語られています。
兼近さんが多感な時期に、お母さんの照美さんがほとんどいない生活で「男の自分がなんとかしなければ」と真剣に考えました。
ある日、「遊んでるのも楽しくなくなったし、勉強したくないから高校に行かないで働く」と突然言ったそうです。
兼近さんが小学生からやっていた野球はかなりの腕前でしたが、経済的理由から高校のスポーツ推薦を断念。
夜間の高校へ入学も中退すると、朝4時から新聞配達、日が暮れるまでとび職をされ、生活費に月10万円ほど渡していたそうです。
夢を密かに諦めて、父親代わりにお母さんの照美さんと同じく、覚悟を決めて働く選択に至ったと思うと、若くして大変な苦労をされていたんだと知りました。
『父親代わり』になろうと奮闘してきたチャラ男
出典:grapee
その頃の2歳下の妹は、当時いじめに遭っていたようです。
日頃から、妹の部屋に行っては笑わせて、の繰り返しで仲がいい兄妹だったのですが、妹は徐々に不登校気味になり、夜出歩いて家族に心配をかけていました。
反抗期ど真ん中の妹に兼近さんは「頑張っている人がいるのに何も感じないのか!」と叱ったそうです。
お母さんが働き詰めでいつ寝ているのかも分からないような生活。
自分たちのために進んで明るく頑張って、時に無理をして笑う様子をしっかり見ていたから、照美さんのことを感謝の気持ちを込めて「頑張っている人」と言っていたのだと思います。
兼近さんも、もしかしたら反抗期で誤った道に流れてしまう危うさがあったことでしょう。
でも、前向きに一生懸命に生きる照美さんの背中を見つめて、深いところまで落ちなかったのかもしれませんね。
日本テレビ「24時間テレビ」でマラソンに参加した際、照美さんに向けてゴール前に読まれた兼近さんの手紙にも自分の活躍を通して親孝行を果たしたいという思いが綴られています。
母親への親孝行を果たすためにマラソンランナーになる決意
出典:Enta
チャラ男の芸風で人気が出ても、また自身の過去の不祥事がおおやけになっても、兼近さんのお母さんへの感謝と恩を返す想いはぶれない、純粋な人物だと思いました!
兼近さんのそんな人間性に、ファンは強く応援をしているのだと感じました!
まとめ
今回は兼近大樹さんの母がすごいことと、極貧生活を乗り越えた過去をお伝えしました!
兼近大樹さんの母がすごいことは、照美さんがダブルワークをし家族を養おうと生活保護を受けずにやってこられたことです。
そこに悲壮感はなく、いつも明るく幸せに振る舞う姿に家族みんなが影響されていたようです。
極貧生活を乗り越えた過去には、そんな照美さんの助けになろうと、野球をやめ高校を中退して、新聞配達、とび職と照美さんと同じくダブルワークをこなしていました。
兼近さんご自身も苦労されてきていることが分かりました。
かねちー&りんたろー。のEXITコンビはチャラ男でブレイクしても、芸能界のEXIT(出口)に行くどころか、ますます活躍の場を広げられることでしょう!
それでは、読んでいただきありがとうございました!
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